約100年前、日本統治時代の台湾に渡った
一人の宮崎出身の画家がいた

あの激動の時代に生きたアーティストにとっての
”自由”とは何だったのか?

塩月桃甫ドキュメンタリー映画制作について

塩月桃甫(1886-1954宮崎県出身)は、戦前の日本統治時代の台湾に初めて西洋美術を普及させ台湾美術展覧会を創設し、台湾美術界に多大なる貢献をした画家である。

塩月桃甫ドキュメンタリー映画制作発案者のアーティスト小松孝英は、9年前より台湾の国際アートフェアに多数出品するなどしており、現地で塩月の名を聞く機会も多く、関係者からすすめられ関心を持った。

そんなある時、宮崎県児湯郡の骨董屋で塩月桃甫の描いた台湾原住民族(先住民)の油絵と出会う。しかし、調べて行くうちに台湾での知名度、貢献度とは対照的に日本ではほとんど知られていないことを知る。

大正10年、塩月桃甫は日本政府側の教育者として台湾に渡り、台湾原住民族やその文化に魅せられていくが、日本は同化政策さらには戦争へと突き進んでいく・・・

激動する時代と矛盾していく自身の環境の中、塩月桃甫はどのような事を思いどのように表現していったのか。小松はこの約一世紀前の同郷の画家を追いかけるにつれ、アーティストにとっての「自由」とは何か考えさせられる。

劇中で触れる塩月桃甫の息子・小説家の塩月赳 (太宰治の親友であり「佳日」のモデル)や塩月桃甫と深く関わった芥川賞候補の小説家・中村地平(宮崎太陽銀行の前身・宮崎相互銀行社長/太宰治の「喝采」のモデル)など昭和前期の宮崎の芸術文化レベルの高さを再確認できる。

小松 孝英(こまつたかひで)

塩月 桃甫(しおつき とうほ)

1886~1954

宮崎県西都市に生まれる。本名は永野善吉。宮崎師範学校卒業後、塩月家の婿養子となり東京美術学校図画師範科に入学。卒業後に11年間教職に就いたのち大正10年35歳で台湾に渡る。
以来終戦まで約25年間台湾美術界の重鎮・教育者として台湾美術展覧会を創設するなど振興と近代化に貢献した。

小松 孝英(こまつたかひで)
脚本・監督

小松 孝英(こまつ たかひで)

1979~

宮崎県延岡市出身のアーティスト。九州デザイナー学院卒。
20代の頃よりロンドンやニューヨーク、香港など世界10ヵ国で個展開催やアートフェアに出品している。
国連施設や延岡市、アジア企業などにコレクション多数。
国文祭・芸文祭みやざき日南市総合プロデューサー。延岡市観光大使。

脚本・監督
小松孝英

撮影・映像ディレクション
ワタナベカズヒコ

編集・映像ディレクション
玉田圭詮

脚本・構成
柴田七実

美術監集
阿部和宣

WEBディレクション
野崎一生

特別協力
塩月光夫(塩月桃甫の孫)

制作協力
王淑津/邱函妮/曾淑芸/林育淳/方美晶/李景光/謝里法/ 羽田ジェシカ/田丸真美/京えりこ/森美根子

室伏康志(法律監修)/鄭惠文(翻訳)

取材協力
陳禎/徐建國/楊鎮宇/林紫千/遊浩乙/林叡秀/簡伶燕/林克三/石井秀隣/興梠富士夫/甲斐義万/佐藤文彌/菊池銑一郎/原田解

台北市立美術館/旧台湾教育会館(現二二八国家記念館)/李梅樹記念館/台南市美術館/国立台湾文学館/旧台北第一中学校(現・建國中学)/烏來泰雅民族博物館/順益台湾原住民博物館/台灣故郷文史協會

宮崎県立美術館/永野家(塩月桃甫生家)

音楽
小松梨奈(作詞・作曲・歌)
ヤマカミヒトミ(編曲・ピアノ・フルート)
里地帰(二胡)/橋本歩(チェロ)/堀崎翔(ギター)
佐藤宏明(Mixing)/水谷勇紀(Recording)

デザイン
出水洋一郎/今井美恵子(書)